春の暖かい日差しと、冬の冷たい風が入り混じる季節。
久しぶりに物書きの真似事がしたくなったので、近所の喫茶店へ篭ることにした。
外を向いている窓際のカウンター席の右隅に陣取って、机の上に道具を広げる。
使い古したノートPCと、物語のネタを書きなぐったルーズリーフ。
そして期間限定の桜抹茶ラテなる珍妙な飲み物を傍らに置き、
目の前に咲く大きな桜の木を眺める。
幾度かの桜を共に過ごし、また幾度かの桜を通り過ぎてきた。
あなたは今この満開の桜の元、何を想い、誰と一緒にいるのだろう。
数年前までは桜を出しにして、毎年のように彼女に逢いに行ったものだ。
円山公園、吉野山、造幣局。
桜を見に行くというより桜を見ている君を見に行っていたようなもんだった。
君もたぶん気付いていただろうけど、
気付かないふりをしていたのかな。
ちょっとずるいな。
「隣、いいですか?」
桜を眺めながら物思いに耽っていたら、ふいに女性の声がした。
視線をずらすと、左側の椅子の後ろに人が立っているのがわかった。
机の上に広がった紙、といっても寄せるほど散らかしてはいなかったが、
それらをまとめて反対側に置き直した。
彼女は隣に座ると、バッグから10枚ほどの紙の束を取り出し、
何ページかめくったところでにらめっこをはじめた。
ちらっと目をやる。
たぶん英語で書かれた論文のようなものであろう。
盗み見た程度ではその単語の意味さえわからないような内容だった。
そういえば前にもこんな光景を見たことがある。
たしかあの子が英語で書かれたイスラエル云々の論文を読んでいて、
私が向かい側で物書きの真似事をしていたっけ。
あれはなんとも心地よい空間だった。
彼女は辞書をめくりながら英文と格闘している。
私はときどき桜に思いを馳せながら、まったく関係の無い物語を紡ぎ出していく。
1,2時間は経ったであろうか。
傍らに置かれた珍妙な飲み物もすっかり冷めてしまい、
頭の中の引き出しも空っぽになってきた。
腕を組んで宙を見上げる。視線の先には見事な桜の花。
その記憶の先には君がいる。
まあなんだろうね。何年もご無沙汰だけど、
まだ君を好きでいることには変わりはないんだろうな。
隣で難しい顔をしていた彼女は、
辞書を片手に最後のページまで読み終えたようだ。
一つ大きく息を吐くと、時計にちらっと目をやり、
しばらくあの桜の木を眺めていた。
やがて店を出た彼女は、公園のほうへと歩いていく。
その横顔はとても楽しそうだった。
今は桜の見ごろだよと、心の中でそう教えてあげた。
季節はずれの幽霊話は、半分くらい書けただろうか。
なかなか続きが思い浮かばない物語の続きを目の前に、
私も花見へと逃げ出すことにした。
空はいつの間にか厚い雲に覆われてきた。
そういえば君と逢う日は、不思議なくらい雨の日が多いよね。
もうすぐ君のところにも桜の雨が降るのかな。
それと、今日は君の誕生日だったよね。
おめでとう。今日から1年、また幸せな日々が続きますように。
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